目次
  1. 映画視聴前のちいかわ知識
  2. 全体的な感想
  3. 雑多な感想
  4. 扱っているテーマが重くて普遍的でいい
  5. さらに「ちいかわ」であることに意味がある
  6. 島二郎というおっさん
  7. ヒトハとフタバ
  8. 本作で描かれる倫理的問題の整理
  9. 両者が犯した罪
  10. 自白しなかったヒトハ・フタバは悪いのか
  11. 調停者のいない世界では強者だけが決定権を持つ
  12. 強者が負うべき責任
  13. 希望

ちいかわミリしら状態で『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を見てきた

先日縁あって、ちいかわをほとんど知らない状態で映画を見る機会があった。視聴後、いろんなものが自分のうちに残っていることを感じたので文章として残しておきたい。

映画視聴前のちいかわ知識

この映画を見るまで自分はちいかわをほとんど知らなかった。知っていることと言えば

  • ハチワレというキャラが存在する
  • みんな謎の、言葉にならない言葉、声にならない声をあげている
  • 「〇〇ってこと!?」「なんとかなれーっ!」という名台詞があり、ミームになっている

ことくらい。

長期にわたって人心を掌握し続けるとんでもないコンテンツなのは知っていたけど、自分の偏見だとどう考えても99分も持つようなものじゃないと思っていたので、どんな映画なのか純粋に不思議でたのしみだった。

全体的な感想

よかった。びっくりした。名作映画だってちょっとくらい「溜め」のシーンはあるけど、約100分、一瞬たりとも退屈だとは思わなかった。ストーリー、キャラ、演出、絵、音響、あらゆる要素で視聴者を楽しませようと技巧を凝らさないと、なかなかここまでの満足度にならないと思う。ただただ目の前にお出しされたすばらしい創作物に「あっぱれ」という心境で満たされた。

雑多な感想

扱っているテーマが重くて普遍的でいい

プロットの核となっている倫理的な葛藤と善悪の問題がかなりしっかりしている。ちいかわというブランドがなくても、これ単体でストーリーテリングに耐えるテーマになっている。ちいかわ以外のキャラクターや世界観でやっても勝負ができる。

テーマの見せ方もいい

渦中の人々の描写も大きな偏りなく公平に描かれ、情報およびこのテーマの構造の開示速度も主人公たちと同じ目線で少しずつ行われるので没入感があり、全く説教臭くない。

重厚で見る人の意見が割れるような、簡単に答えが出せない問題をエンタメ作品として扱うためには登場人物に対する分け隔てなく誠実で丁寧な描写の積み重ねが必須であり、逆にいいエンタメ作品はこれを備えていることが多い。でもちいかわの映画で見ることになるとは思わなかった。

さらに「ちいかわ」であることに意味がある

ちいかわじゃなくても描けるテーマだけど、この世界観だからこそ独特の味付けになっていることも多い。

そのゆるくてかわいくてちょっとシュールなテイストで油断する分プロットの持つ構造の意外な複雑さが余計に驚きと印象をもたらす。

長い映画中の場面転換やアイキャッチ的な要素として素っ頓狂なギャグを入れてくるのは(特に少年漫画では)よくある技法だけど、それで逆になんだか醒めてしまうことも多い。でもちいかわはもともと「ちょっとふざけた」感じのいきものたちなので、彼(女?)らが同様に変な寸劇を挟んで場面転換しても、シームレスに楽しむことができた。

島二郎というおっさん

いいキャラ。癒し。かなり好き。本作が倫理的な葛藤を扱う都合上、その渦中のキャラに惹かれると「でもこのキャラはこういうことをしているし、好きになってもいいんだろうか」という呵責がうまれる。でも島二郎はその倫理的対立構造の外にいるので安心して好きになれる。SNSでの反応などを見るまでもなくこのキャラはきっと人気だけど、それはこういった「逃避先として好意の向け先」として最適であるという事情もあると思う。

登場シーン

登場シーンもよかった。まさに起承転結の「転」みたいな、物語中盤で唐突に出てきて主人公の強力な助っ人になってくれる変な人というの、結構様式美というか、王道シーンで熱かった。

ヒトハとフタバ

苦しい。永遠の命なんて呪いだから相手にも食べされるのも、ちいかわが事情を察したことに気づいてふたりで震えるように手を繋いでいるところも。この二人の葛藤や罪を描いたシーンでは言葉数は少なかったけど、それ以外の部分での見せ方がすごくて心拍数をあげられた。

永遠の命というのは条件付きで、電池をはずせば自殺、すなわち呪いの解除ができるので救いかと思ったけど、それをまた誰かに入れられたり、自分では外せないようにさせられる可能性もあるのでそうでもないかも。

本作で描かれる倫理的問題の整理

両者が犯した罪

ちゃんとしたリーガルチェックはその道の人がやるとして、自分でも整理したい。

まずセイレーン側の犯した罪は2つ。1つはフタバを過失により殺害したこと。厳密にはフタバが死亡する前にヒトハが人魚の肉を与えて永遠の命を得たので殺害していないけど、この超常的な力がなければ死んでいたので罪としては殺害と判定する。

もう1つは村の人々を誘拐して殺害したこと。これは作中では明示的には述べられていないけど、途中ちいかわと同じタイミングで捕まった村人がみそ漬けにされ、それを「明日には食べられる」とセイレーンが述べたスピード感からすると、それより以前に誘拐されて未だ戻ってきていない村人たちも同様に食べられてしまったと考えてよい。その数は少なくない。

次にヒトハとフタバが犯した罪は1つ。それは明確な殺意をもって人魚を殺害したこと。

自白しなかったヒトハ・フタバは悪いのか

確かにこのふたりが自白をしなかったことでセイレーンが手当たり次第に村人をさらっ(て殺し)たので、他の村人の被害の原因の一端を担っているかもしれない。でもそれは責任があることも意味するだろうか?

自分はそうは思わない。まず第一に、まだ確証もとれていないのに村人を誘拐したセイレーン側の行いが明らかに責めを負うべきである。

学部の時に一般教養として受講した「哲学概論」の講義を思い出す。

信号無視をした車に轢かれて大けがを負った人は、その日その時その場所にいなければ事故にあわなかったという意味で「事故の原因」の一つ足りえるかもしれないが、「そんなところを歩いていたのがいけない」のだろうか。

調停者のいない世界では強者だけが決定権を持つ

そして第二に、ヒトハとフタバが自白したら凄惨な報復を受けることが予想されるからである。実際、セイレーンは死よりも恐ろしい、「暗い海の底で身動き取れない体勢のまま永遠の時を永らえさせる」という仕返しをすることを公言しており、ふたりは途中でこのことを認識している。

そんな状況では自白はできない。この意味において、この二人は決定権を持っていない。報復の連鎖に入るのか、調停によりなんらかの停戦合意をするのか、その決定権は生殺与奪の権を握るセイレーンにしかない。

両者の行動を縛ることのできる法や第三者はこの世界には存在しない。

強者が負うべき責任

であればこそ、強者側には道義的責任が伴う。第三者の目線でともすれば暴力的な視点で以って「どうすればよかったか」を考えたとき、その結果を手繰り寄せることができるのは強者側しかいない。

今回の問題ではたまたまセイレーン(この世界ではでかつよと呼ばれる側の個体らしい)だったが、複雑な現実世界では、ほとんどの人がどこかの文脈で強者になる。

希望

この作品、子供もたくさん見てるってマジ?さすがに未来が明るすぎる。自分が子供の頃って、もっと子供だましというか、易しいテーマの物語が多かったような気がするけど…。子供だからって変にごまかさずにまっすぐ向き合っていく姿勢、いいね…。

こういう、キャッチーな世界観、キャラ、デザイン、ゲーム性、音楽などで何重にもオブラートに包まれることで受け手の心に複雑な構造や難解な問題に対する主体的な思考のきっかけがしっかり届けられるコンテンツを浴びるたび、「エンタメにできることはまだあるかい」という気持ちになる。ちいかわ、アークナイツ、2025年M1決勝ドンデコルテのネタ、こたけ正義感の弁論、全部同じです。